「その症状、メンタルが原因ですよ」
といわれてもピンとこないでしょうから、たくさんあるうちのヒントをお伝えします。
心の断捨離の一環ですね。これで栄養のダダ漏れはかなり減りますよ。
[1]ぼくが諦めたこと一例
ぼくが諦めたほんの一例は、次の3つ。
・寝る間を惜しんで働く
・横のつながりを広げる
・世界各地に友達をつくる
ぼくは「ただ旅がしたいだけ」なので、旅をするためのお金を稼ぐ必要がある。
でも、経営者界隈でよくいわれる「寝る間を惜しんで働け」は、ぼくにとって不向きらしい。
居眠り事故も起こしたり、会社をクビになったり、睡眠不足で損をしたことは数知れない。
いまだに「寝る間を惜しんで働け」をマジメにやっていたら、きっと心身ともに苦しかったと思う。
また、昔は世界各地に友達がいる旅人に憧れた。
なので、相部屋しかない安宿に泊まったり、現地人に話しかけたり、いろいろやっていたが、今思えば苦痛でしかなかった。
わざわざ〝がんばって〟そういうことをやっていたが、相当な栄養を消費していたことだろう。
ビジネスホテルに泊まって、ほとんどの時間をカフェと銭湯で過ごす旅が、ぼくにとっては何よりも満たされる旅だと知った。
[2]起こらないことを受け入れる
1つのことを諦めると、それを諦めることによって、人生で起こらないことも受け入れる必要がある。
たとえば、寝る間も惜しんで働いている人よりもお金を稼げないかもしれない。
旅先に友達がいないことで、現地人しか知らない穴場スポットに行けないかもしれない。
でも、それは原因と結果の法則。普遍の真理。
そういう結果が出る原因を諦めたのだから、そういう出来事が起こらないのは仕方ない。
ここを捨てられなくて、慢性症状を垂れ流している人は多いように思う。
[3]諦めないために、諦める
こう書くと、なんだか華のない人生のように思えるが、そうではない。
諦めることを決めるのは、実はどうでもよかったことに栄養を消費するのをやめて、ほんとうに諦められないことに栄養を消費していくためだから。
そう。諦められることなんて、所詮どうでもよかったことなんです。
寝る間を惜しまず寝たところで、限られた時間でお金を稼ぐ手段はいくらでもある。
世界各地に友達がいなかったところで、誰にも気を遣わず、大好きなカフェと銭湯でたくさんの時間を過ごすことができる。
そして、柴犬を飼いたいなあとか、親をスイスに連れて行きたいなあとか、ほんとうに諦められないことにこそ栄養を使っていくことができる。
ひとつ何かを諦めると、嫌な習い事をついに手放したときのようにせいせいして、肩の力が抜ける。これが栄養浪費源のカット。
栄養の余りをつくる良策は、摂取量を増やすだけでなく、このように浪費量を減らすことです。